「ちばでも」は、2012年衆議院総選挙時に、千葉1区立候補予定者公開討論会を開催したときから始まりました。淑徳大学コミュニティ政策学部の1期生有志と、当時、週1回、千葉みなと駅のタリーズコーヒーで「朝カフェ」を開催していた地域の有志の皆さんと一緒に手作りではありましたが、千葉1区から立候補を予定している候補予定者の方々にお集まりいただき、議論していただきました。
翌年、2013年の参議院選挙は、選挙活動においてインターネットの利用が解禁された最初の国政選挙となりました。それまでは、インターネットの利用は、告示日前日の23時59分まで。後は、有権者は候補者の演説に足を運ぶしかありません。インターネット利用の解禁により、候補者は有権者と物理的な制約を超えて、対話を図ることができるようになりました。「ちばでも」では、千葉選挙区の立候補予定者にアンケートを実施し、政策比較表を作成し、WEBサイトに掲載しました。
2016年の参議院選挙は、国政で初めて選挙権年齢が18歳に引き下げられた選挙となりました。今後、被選挙権年齢についても考えていくことで、若者の政治参画の可能性は高まっていくと思いますが、2012年から始まった「ちばでも」の歴史は、わが国の選挙制度が大きく変化した10年の歴史と重なります。
「ちばでも」が目指すことは、有権者に「選択するための判断材料」を提供することです。そして、日本の民主主義を成熟させていくという壮大な夢を描いています。
民主主義とは、政治制度のひとつでもありますが、その言葉には、普遍的な価値が込められていると思います。その価値とは、「社会は、あらゆる考え方や存在を受容し、法の下に平等であり、自由が保証された上で、選択を行っていくこと」であると言えます。
多様な意見がある中で、自分の意見もしくは自分に近い意見が選択されることがあるでしょう。一方、そうした意見が選択されないこともあります。選挙に立候補すれば、時には勝利し、時には敗北するかもしれません。自分が応援している政治的プロジェクトが成功することもあれば、失敗することもあります。これらのことは、民主主義という普遍的な価値が成立しているからこそ、私たちは、何らかの行動ができ、また、自分たちの幸福を追求することができるのです。
政治のことは難しい。自分が一票いれたところで何も変わらない。この社会はなんだか理不尽だな、たくさんの不満がある。こんな言葉を耳にします。まずは、自分の身の回りのことから関心を持ってもらいたいと思います。自分の一票では、国のことは何も変わらないかもしれないけれども、自分の身の回りのことに関心を持って、自分ができることをやってみることで、自分の身の回りにある問題は解決できるかもしれないし、何か変えることができるかもしれないのです。実は、自分の身の回りのことは、市区町村、都道府県などといった自治体の仕事に大きく関わっている可能性が高いですし、皆さんのひとつの行動は、そうした自治体の取り組みを変えることに影響力を持つかもしれません。
「ちばでも」というプロジェクトは、そうしたことのひとつの「きっかけ」かもしれません。選挙は、18歳以上の誰もが自分の意見を投票という形で表現できる機会です。
有権者に選択肢と対話を。「ちばでも」は、これからも民主主義という普遍的な価値を追い求めていきます。
淑徳大学コミュニティ政策学部教授
矢尾板 俊平