人生には、2種類の「失敗」がある。
ひとつは「何かをしたことによる失敗」。もうひとつは「何かをしなかったことによる失敗」。
「何かをしなかったことによる失敗」は、自分がどんな失敗をしているかもわからないかもしれないし、何も成長することができない。
「何かをしたことによる失敗」は、振り返ってみれば、自分がどんな失敗をしたかを考えることができるし、その失敗から学ぶことができる。それゆえに、失敗はしたとしても、自分を成長させることができる。
「何かをしなかったことによる失敗」は、一歩も前に進めていないが、「何かをしたことによる失敗」は、一歩は前に進めている。どちらの失敗を選択すべきか。一歩でも前に進めることができる「何かをしたことによる失敗」を選ぶべきである。もちろん、「失敗」をするために、何かをするわけではない。しかし、何かをしなかったことよりは、何かをして失敗した方が得るものは大きいのである。だからこそ、まずは挑戦をすべきなのだ。
社会は、そうした挑戦者たちに敬意を払い、その挑戦者たちが失敗をしたとしても、その失敗を許容する寛容さを持つことが大切だ。「失敗」の積み重ねから、新たな技術が生み出され、それが現代社会の豊かさの源泉となっている。
さらに言えば、もっとも避けなければならないのは、「やらなければいけないことを知っているのに、それをやらない」ということだ。「知っているのに、行動をしない」、まさに「不作為の罪」である。
このままでは、誰かが損害を被ることを知っているのに、それを見過ごす。何もしない。これは「未必の故意」である。
知識を得た、学んだからこそ、実践、実行する責任が生じるのである。